神君・家康のイメージからはギャップのあるエピソード5つ
言わずとしれた戦国時代を終わらせ、徳川300年の基礎を作った徳川家康。
大河ドラマ「どうする家康」では、今までとは違ったヘタレなキャラの家康が話題ですね。
今記事では今までの家康のイメージとは違った意外なエピソードや、面白いエピソードをお伝えします。
実は短期でヒステリック
後世ではその我慢強さを評して、「鳴かぬなら鳴くまで待とうほととぎす」と歌われましたが、実はけっこう短気な性格です。
若い頃に気に入らない家臣を縁側から、蹴り落としたというエピソードが残っています。
また、戦の最中に興奮すると絶叫しながら、馬の鞍を拳が血だらけになるほど殴りました。
そのせいで、後年家康の拳の形は変形してしまって、指の曲げ伸ばしがしずらかったといいます。
部下(家臣)からしたら、こんな上司怖くて話しかけられないよ…って状態です。
そんな家康の短気を象徴するエピソードが、武田信玄との三方ヶ原の戦いです。
上洛を目指す信玄が、家康の居城である浜松城を攻めず、目の前を素通りしていくのを見た家康はキレます。
通常なら、兵の数で劣る場合は籠城して守りに徹するのが定石ですが、「そんなの関係ねぇ!!」とキングダムの信のように飛び出してしまいます。
出典:https://entame-blog-second.com/kingdom-shin-force-strongest/
その結果、武田軍にボコボコされ、重臣たちも何人も討ち取られる大敗北を喫します。
この出来事を反省して、二度と同じミスを起こさないように、有名な「しかみ像」を描かせたと言われています。
上司にしたい戦国武将!?
家康の短気でヒステッリックな部分に触れましたが、ただ短気なだけじゃ天下は取れません。
現代でも理想のビジネスリーダーと言えるようなエピソードも残っています。
それは部下(家臣)を叱るときの、叱り方です。
家康は人を怒るときは、人前ではなく、こっそりと呼び出してから怒りました。
しかも、後からフォローしてもらうために親しい人間も一緒に呼び出します。
そして、まず叱るのでなくこれまでの功績について讃えます。
その後で、「あれは良くなかったね」と叱ります。
最後には「今後も期待しているよ」とフォローを入れて終わらせます。
さすが天下人は叱り方も超一流です。
人心掌握の術を心得ています。
現代にもビジネスパーソンにも通づるデキる上司エピソードですね。
野戦は強いけど、攻城戦は苦手…
人間には必ず得意不得意があります。
頭脳明晰で戦や政治が上手く、馬術や水泳といったスポーツも万能だった超人家康にも苦手があります。
それは攻城戦です。
野戦は大得意で、天下分け目の戦となった関ヶ原も、なんとか野戦に持ち込もうと策を労しました。
実際、若い頃に武田信玄に三方ヶ原の戦いで大敗しているものの、野戦の戦績は非常に良いです。
対して、真田昌幸の居城である上田城を攻めた第一次上田合戦では、数倍の兵力にも関わらず、落とすことができずに撤退しています。
また豊臣家を滅ぼすために大軍勢を起こした、大阪冬の陣では30万の兵数を集めながら、10万の豊臣勢と大阪城の頑強な防御を前に落とすことができませんでした。
正攻法では難攻不落の大阪城を落とすことができないとみて、外国から輸入した大砲を使って、淀殿(秀吉の側室で、秀頼の母)のいる本丸に砲弾を打ち込みます。
これですっかり怯えきってしまった淀殿が和睦をすることを決めてしまいます。
和睦の条件として、大阪城の外堀を埋められることが決まりました。
条件通り外堀を埋めていくのですが、家康方がどさくさに紛れて内堀まで埋めてしまいました。
これには豊臣方大慌て。
当然話が違うと抗議を行います。
うっかりしてたって…。
これだけの壮大な約束破りをしておいて、うっかりしてたで済ませてしまいました。
更に、この翌年にはまた大阪城に大軍勢で攻めこんで豊臣家を滅ぼしてします。
まさに家康が狸ジジイと言われる所以が分かるエピソードです。
健康オタク
家康はかなりの健康オタクでした。
普段は夏でも胃を守るために温かいうどんを食べ、白米ではなく、麦飯を食べていました。
また薬についても自分で勉強して、自ら調合できるようになっています。
晩年は腹痛に悩み、自分で調合した薬を飲むのですが、体調は悪くなっていく一方でした。
ここで担当医から薬を飲むことを止めるように諭されます。
しかし、自分の健康知識と取り組みを否定された家康は怒ります。
結局、家康は自分で調合した薬を飲み続け、これが寿命を縮めた一因になったといわれています。
女性選びもストイック
戦国時代の大名は正室の他にも側室を持つことが普通でした。
家康も例にもれず、たくさんの側室がいたのですがその選び方が独特です。
普通は気に入った娘を側室としていくのですが、家康はある条件を設けて側室を選びました。
それは子供を産んだことがあること。
子供を産んだことがある女性であるならば、また子供を産むことができる確率も高いだろうと考えたんですね。
流石お家の繁栄を第一に考え、女性選びもストイックです。
逆に天下統一をした後は、若い女性を好んだようです。
まとめ
家康の意外なエピソードや、面白いエピソードについてお伝えしました。
神君・家康のイメージからは、ギャップのあるエピソードもあったかと思います。
歴史もののドラマや漫画も、こういったエピソードを知ってから観ると、また違った楽しみを見つけることができるかもしれませんね。