曹操は三国志の主人公の一人で、魏を興した英雄です。曹操には「頭が良い」、「かっこ良い」、「残忍」、「リーダーシップがある」等様々なイメージがあります。ここまで多くのイメージがある偉人は珍しいですよね。近年では残忍というイメージが改められ、英雄として描かれることが多くなってきています。そんな曹操にも意外とダサい、知りたくなかった(笑)情報を含め、幼少期からのエピソードをご紹介します。
嫌いな人は排除
曹操は幼少期から抜群に頭が切れる少年でした。当時曹操には嫌いな叔父さんがいました。ある日曹操は叔父さんの前で急に体調を崩し、倒れこんでしいます。驚いた叔父さんは曹操の父を呼びに行きました。しかし行ってみると、曹操はケロっとしています。「叔父さんは私のことが嫌いなのでそんなことを言ったのでしょう」と曹操は悲しそうに父に伝えました。それからというもの、叔父さんは嘘つきのレッテルを貼られて、信用されなくなってしまいました。
頭も良いし、演技力もすごいですが、こんな子供が周りにいたら嫌ですね…。
袁紹と共に花嫁泥棒
若い時の曹操はヤンチャであったと言われています。その中のエピソードにこのようなものが残っています。若き日の曹操と袁紹は二人で結婚式に乗り込み花嫁を強奪しました。この時点で驚きのエピソードですが、その逃亡中に袁紹は道端に落馬してしまいました。その時曹操は追手に向かって「泥棒がここにいるぞ」と叫びました。曹操に売られた袁紹は大いに焦り、なんとか火事場の大力を発揮して逃げ切りました。
曹操の人間性が分かると共に、面白いエピソードですね。しかし、袁紹は4代連続で3公(漢の最高位の一つ)を輩出した超名門です。対して曹操の家は大金持とはいえ、祖父が宦官で、父が金で官位を買った人間であり家の格は落ちます。その袁紹を売って自分だけ逃げる、また同格の友達として連れ立って遊ぶということは少し考えにくいですね。その為個人的にこのエピソードは、後年の人が曹操の人間性を伝えるためにつくった創作なのでは…と思います。
言い訳
董卓が都の洛陽に乗り込んできて圧政をしいた時、董卓に反目をする諸侯は相談し、董卓を暗殺することになりました。そして暗殺を行う人間は、若くカリスマ性のある曹操ということに決まりました。中華の命運を背負った曹操に宝剣が託され、意気揚々と董卓の屋敷に乗り込んでいきました。首尾よく董卓に近づくことができましたが、董卓が覗いた鏡に曹操が映っており、存在がばれてしまいます。気づかれた曹操はすぐに計画変更し言い訳をします。
曹操「董卓様っ!とても良い宝剣が手に入ったんでお届けに参りました。へへっ」
董卓「おっおう。お疲れさん。」
曹操「それじゃあ、あっしはこれで」
屋敷を出た曹操は猛ダッシュ、その足で都から逃げ出しました。都から離れた曹操は実家(いつの時代も困った時に向かう場所は一緒…)に向かいます。しかし、董卓は曹操の暗殺の意に気づき追手を差し向けられ絶対絶命のピンチ。その逃走劇についてはお次の段落で。
私が天下に背こうとも、天下の人が私を裏切ることは許さん
董卓暗殺に失敗をした曹操は追手から逃げる為、馬を走らせました。飲まず食わずであった曹操は途中一軒の家に、お世話になることにします。やっと落ち着いて食事ができると思った矢先、台所から聞き捨てならない会話が飛び込んできました。それは一家がどうやって曹操を殺そうか相談をしている会話でした。このまま殺されてはたまらないと一家の人達を殺して家を飛び出ました。その途中一家の主とすれ違い、家族は曹操ではなく豚の殺し方を相談していたことが分かります。
流石にまずいことをしたと思った曹操ですが、主も口封じのために殺してしまいます。この行動はあまりに非道だと部下に咎められた曹操は吐き捨てるように下記の言葉を放ちます。
我人に背くとも人我に背かせじ
引用:もっと知りたい!三国志
現代語で要約すると、「僕は皆を裏切ってしまうことがあるかも知れない、でも皆は僕のこと裏切ったらやだよ!」ということです。かなりの暴論に聞こえますが、曹操の帝王哲学が垣間見える名言です。
荀彧はスパルタ系!?
勢力を順調に伸ばしていった曹操は「官渡の戦い」を迎えます。この戦で中原の覇を巡って曹操と袁紹が全面対決を行いました。兵力の面では、袁紹軍の10万に対して、曹操軍は1万と圧倒的に劣っています。当然戦は劣勢に立たされ、防戦一方になっていきました。その時曹操は自城を守っている荀彧にこのような手紙を送ったとされています。以下ざっくり要約したやり取りになります。
曹操「一度、君のところに帰ろうかなと思っているんだけどどうかな?」
荀彧「ダメです。戦ってください。」
曹操「でも私は丞相だし…国の仕事を放って戦ばかりをしているのは良くないと思うんだ…」
(決して負けそうだから帰りたいとは言わないところが曹操です)
荀彧「ダメデス。タタカッテクダサイ。」
曹操「分かった涙」
こうして荀彧に尻を叩かれて、曹操は再び戦う決心をします。その後袁紹の兵糧庫である烏巣が、少人数の兵で守られているという情報を聞き襲撃を行います。兵糧がなくなった袁紹軍は軍勢を維持することが出来なくなり大敗を喫することになりました。
曹操の官渡の戦いの大勝利の裏には、荀彧の強気なアドバイスがあった訳ですね。曹操は荀彧を「わが子房」と称しています。前漢を作った劉邦の名宰相、張良の字(子房)に例え、最高の部下だと絶賛しているのです。官渡の勝利により中原の大勢力を確立し、天下に一番近い男として名乗りを上げることになります。
まとめ
如何だったでしょうか。今回は曹操の英雄らしからぬエピソードを紹介させて頂きました。
今後も英雄の人間らしい部分にフォーカスしたエピソードをご紹介します。最後までお読み頂きありがとうございます。