男にとって必要なのは、
若いころに何をしようかということであり、
老いては何をしたかということである。
引用:地球の名言
参照:https://www.weblio.jp/content/秋山好古
秋山好古は明治時代~大正時代の日本軍人です。日本の騎兵創生時に陸軍に入隊し騎兵を育成、後に「日本騎兵の父」と呼ばれました。
日露戦争では当時最強と言われたコサック騎士団を破るという快挙を成し遂げています。
また上記の言葉に“単純明快”であろうとした人の生き方が詰まっています。秋山好古の言葉から現代を生きる我々が学ぶべきことは多くあることでしょう。
まず一身独立することを考えるべし
人は生計の道を講ずることに、
まず思案すべきである。
一家を養い得てはじめて、
一郷と国家のために尽くす。
引用:地球の名言
好古は愛媛県松山市の貧しい武士の家に生まれました。幼い時に明治維新を迎え、藩からもらっていた給料も出なくなり家はますます困窮します。
少年時代は風呂屋でバイトをしながら必死に勉強しました。この時代の少年たちには勉強さえできれば出世をすることができるという希望を持っていました。好古も例外ではなく、どうにか勉強をして学で身を建てたいと考えます。
好古が16歳の時、「学校の先生を育成をする学校」が大阪にできます。
この学校は試験にさえ合格すれば無料で学ぶことができる、この情報を聞きつけた好古は行きの旅費だけをもって大阪に向かいました。
試験に合格後、先生をしながら勉強をすることになります。
その後名古屋で教員をした後、同郷の先輩の紹介で陸軍士官学校に受験をして入学しています。
このように、好古の青春期は徹底して「タダで学べる学校」と「収入」の二つを求めました。
その結果が軍人ということであり、まさか自分が軍人になろうとは郷里を出立した時点では考えもしていなかったでしょう。
尚、兵科は他の兵科よりも1年間早く卒業でき、給料がもらえるようになる騎兵を選んでいます。
夢や理想について語ることは多いに結構ですが、まずは自身の足元を固め、生活ができるようになって始めて、充分に国家や人に尽くす仕事ができるということです。
単純明快である
身辺は、
単純明快でいい。
引用:地球の名言
いかにすれば勝つかということを考えてゆく。
その一点だけを考えるのがおれの人生だ。
それ以外のことは余事であり、
余事というものを考えたりやったりすれば、
思慮がそのぶんだけ曇り、乱れる。
引用:地球の名言
軍人になった好古は“単純明快”であろうとしました。
陸軍の騎兵士官として肝要なこと兵を率いて勝つ。そのことだけに自分は集中すべきであるし、それ以外のことは大したことではないと考えました。
この考えは生活にも及び、当時居候していた部屋にはほとんど物がなく、夕食も毎日米と漬物だけの質素なものでした。
また弟の真之(後海軍軍人)が進学の為上京し、好古の部屋に居候していた時も、茶わんは一つしかなく交互に茶わんを使って食事を取るほどでした。
この当時のエリートの意識の高さは凄まじく、自分の勉強が一日遅れれば、この国の成長が一日遅れると考え日々研究や勉強に励んでいました。実際現在よりも知識人や専門家が遥かに少ない為、この時代のエリートの多くは必然的に各分野の第一人者となっています。
これは好古にとってもそうで、騎兵士官の少なさから、自然将来の日本騎兵を率いてゆくのは自分であると考えていました。
このような時代背景もあり、戦で勝つ以外のことは己の人生にとっては余事であると言い切っています。
真之(弟)へのアドバイス
己の意見もない者が、
他人の意見を読むと害になるばかりだ。
引用:地球の名言
真之が読んでいた新聞を取り上げて、上記のように叱りました。新聞などは若い時から読んでいた方が良いという考え方もありますが、好古としては自自我が固まらない内に読むことは危険だと考えていたようです。
己の意見を持つためにも学問は必須である為、真之の学費と生活費は好古が全額援助をしていました。
向いていなければさっさとやめる。
人間は、自分の器量がともかく発揮できる
場所を選ばねばならない。
引用:地球の名言
人間は生計を立てることがまず第一だが、好古の考えとしては、食べていくためだけに向いていない仕事を長く続けることは美徳ではありません。
上記の通り、自身の力が最大限発揮できる場所を選ばねばならず、事実好古が兵科を選択する際、日本人として手足が長かった好古は騎兵に向いてたことも騎兵を選択した要因でした。
このアドバイスにどれほど真之が影響を受けたのは定かではありませんが、真之は後に当時の最高学府である大学予備門(現在の東京大学教育学部)を辞めて海軍に入隊しています。
苦労することの大切さ
人間は貧乏がええよ。艱難(かんなん)汝を玉にすと言うてね、人間は苦労せんと出来上がらんのじゃ。苦を楽しみとする心がけが大切じゃ
生涯身辺を単純明快であることを心がけていた好古は、上記の言葉をよく子供たちに言い聞かせていました。
好古自身が若い頃、銭湯で働きながら苦学をしていた為、深みのある言葉となっています。
ストレス社会の現代においても、苦を楽しみとする心がけを持ちたいものですね。
まとめ
好古は人生も仕事についても、出来るだけ“単純”なものにしたいと考えていました。その為、キャリアにおいて騎兵の育成に集中し、軍政や人事について口を挟もうとはしませんでした。自身の能力と時間を本当に必要なことに使ったのです。それが日露戦争での快挙に繋がっていきます。日露戦争後は大将に昇進しました。元帥への昇進を勧められましたが固辞し、大将で軍歴を終えています。
仕事においても人生においても、大切なこと以外は手放す。あえて人生を“単純”なものにしていく“努力をする”ことで、見えてくるものがきっとあるでしょう。
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