サッカーの長い歴史のなかには、伝説的な活躍をした選手がたくさんいます。
スター選手はプレーだけでなく、ピッチ外でも私達がわくわくするような話題を提供してくれます。
今記事ではすでに引退したレジェンド選手のおもしろいエピソードをいくつか紹介致します。
フランチェスコ・トッティ
トッティは「ローマの王子」として、25年間の現役生活をローマ一筋で送ったイタリア人選手です。
ポジションはトップ下とFWで、高いボールスキルと得点力というオフェンスに必要な能力をすべて高水準で備えていました。
ローマにおける最も偉大な選手という評価を得ています。
イタリア代表としても2006年のワールドカップで優勝を経験しています。
お悩み解決
トッティはローマの偉大なキャプテンであると同時に、天然で知られています。
イタリアで人気の本を購入して、こう言いました。
オス?メス?
あるときトッティの彼女が、猫を抱いて家にきました。
シェイクスピアの作者?
トッティはおバカという風評が広まり、それを気にした彼女がこのような提案をします。
ヨハン・クライフ
「フライング・ダッチマン」の愛称で親しまれた、オランダの伝説的選手です。
「トータル・フットボール」をピッチ上で体現して、ワールドカップではオランダ代表を準優勝に導きました。
クラブチームはアヤックスとバルセロナに所属し、UEFAチャンピオンズカップを3連覇するという偉業を成し遂げています。
ヨーロッパ年間最高選手に送られるバロンドールをも3回受賞しています。
チュッパチャプスを流行らせた男
今では信じられないことですが、ヨハン・クライフは現役時代からヘビースモーカーでした。
監督をするようになってから持病の心臓病により、やむなく禁煙をはじめることになったのです。
禁煙による口寂しさを紛らわすために、よくチュッパチャプスをくわえるようになります。
クライフがチュッパチャプスをなめている姿が頻繁にテレビで映された影響で、チュッパチャプスは今日の人気を得ることになるのです。
一人だけ違うユニフォーム
アディダスといえば「スリーストライプ」が代表的な意匠として知られています。
当時オランダ代表のスポンサーとして、アディダスがユニフォームの製作をしていました。
当時は非常にシンプルなユニフォームが多かったなか、アディダスの「スリーストライプ」が入ったデザインは画期的なものでしたがクライフは着用を拒否。
個人的にプーマとスポンサー契約をしていたクライフは、「スリーストライプ」のユニフォームに袖を通すことができなかったのです。
結局クライフのみ二本線のユニフォームを身につけてプレーする唯一の選手となりました。
飛べないオランダ人
クライフの「フライング・ダッチマン(飛ぶオランダ人)」をもじって、「飛ばないオランダ人」と呼ばれた名選手がいます。
それはアーセナルなどで活躍したデニス・ベルカンプです。
最高のトラップ技術と、得点で多くの人を魅了しましたが極度の飛行機恐怖症。
基本的には陸路での移動で、飛行機に乗れないために出場できない試合も多々ありました。
オランダ代表としては、飛行機に乗る必要のある試合には出場しないという条件つきでナショナルチームに参加しました。
ロマーリオ
出典:https://vamosaobrasil.com/bad-boy-legend
ロマーリオは長いサッカー史においても、五指に入るであろうストライカーです。
生涯1000点を超すゴールを決めて、ブラジル代表や所属チームに多くの勝利をもたらしました。
その圧倒的なパフォーマンスと共に、悪童とも呼ばれる自由な振る舞いでピッチ内外で注目を集めました。
誘拐犯への対応
1994年に父親が誘拐され、日本円にして8億円の身代金を要求されました。
これに対しロマーリオは、記者会見を開き「父親を返してくれなければ、ワールドカップには出場しない」と逆にプレッシャーをかけます。
サッカー王国であるブラジルにとって、ワールドカップの優勝はなによりも大切なことです。
それは犯人たちにとっても同じこと。
記者会見の翌日、無事に父親は解放されました。
しかも、要求された身代金を払うこともなく開放されたというから驚きです。
練習に出たことがニュースに
ロマーリオは練習嫌いでも有名な選手でした。
練習をサボるなんてこともしょっちゅうあったようで、練習に来てもシュート練習だけして帰ってしまうということもあったようです。
逆にナイトクラブやカーニバルは大好きで、カーニバルで遊びたいという理由で帰国してしまうこともありました。
そのためカーニバルの時期にロマーリオが練習に参加するだけで、珍しいということでニュースになりました。
ペレとの関係
ロマーリオとサッカーの王様ペレとの関係性が分かるエピソードがあります。
ロマーリオは元々母国の大スターであるペレを、とても尊敬していました。
しかし、事あるごとにロマーリオに対して否定的なコメントをするペレに、ロマーリオは反感を覚えていきました。
そして、2005年にロマーリオは引退すべきとのペレのコメントを受けて、ついにロマーリオは切れます。
「ペレは黙っていれば詩人なのにね。ペレの口にはサンダルでも入れておけば良い」という迷言を残しました。
ロイ・キーン
出典:https://thedigestweb.com/football/detail/id=36665
マンUの闘将として、1997年から2005年までキャプテンを務め、いくつものトロフィーをチームにもたらしました。
アレックス・ファーガソン監督からも、理想の「ベストイレブン」を作るとしたら必ず入れる選手と謳われています。
そのプレースタイルは、DMFとして激しい守備で相手の攻撃の芽を摘み、正確なパスでチャンスメイクもできるユーティリティの高い選手でした。
ハーランドの父親との因縁
ロイ・キーンは現在最も優れたストライカーの一人である、マンチェスターCのエースであるハーランドの父親と因縁のある相手です。
97年にロイ・キーンは、ハーランド父が所属するリーズと対戦します。
その試合でロイ・キーンは、ハーランド父と接触をして怪我をしてしまいます。
その時に、ハーランド父は倒れてうずくまっているロイ・キーンに向かって叫びます。
「怪我をしたフリをするなっ!」
痛みに苦しみながらも、ロイ・キーンはこの言葉に激しく怒りを覚えます。
結局その怪我は前十字靭帯断裂の大怪我で、1年間治療とリハビリでピッチから離れることになりました。
そして、この出来事から3年後、リーズからマンチェスターCに移籍したハーランド父は再びロイ・キーンと対戦することになります。
事件はその試合中に起こります。
ロイ・キーンがドリブルをしているボールを奪取しに行ったハーランド父に向かって、3年の間溜まりにたまった怒りを、ハーランド父にぶつけるかのように、ロイ・キーンは足裏を見せた悪質タックルをお見舞いします。
このタックルを受けたハーランド父は、空中を舞い、地面に倒れることとなりました。
うずくまるハーランド父、見下ろすロイ・キーン。
3年前とは逆のシュチュエーションとなり、痛みでうずくまっているハーランド父に向かってロイ・キーンは叫びます。
「二度と俺を見下ろすなっ!」
結局、ハーランド父はこのタックルが原因で、以降フル試合を出場することが難しくなり、実質このタックルが原因で引退することになりました。
このタックルはプレミアリーグ史上最も悪質なタックルとして語り継がれています。
まとめ
如何だったでしょうか。
一流選手は人間性もクセが強い人が多く、面白いエピソードが多かったと思います。
特にトッティの天然エピソードは、プレースタイルとのギャップがあり驚いた方もいるのではないでしょうか。
ロイ・キーンのエピソードに関しては、面白いというよりはやホラーですね…笑
他にも偉人のエピソードなどをまとめており、こちらも面白いのでぜひ見てみて下さい。
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