太宰治は現在でも最も人気の高い作家の一人です。
死後70年以上経った今も、作品が映像化され人気を集めています。
そんな太宰は「ミステリアスで、女たらし」というイメージが強いと思います。
今記事では太宰の人間性が垣間見れるエピソードを5つご紹介させて頂きます。
太宰治とんでもエピソード5選
太宰治の驚きのエピソードについて以下ご紹介します。
弟子入り
太宰は人にお願いをするときには基本的に泣きおとしでした。
言うこと聞いてくれないと4んじゃうぞー☆
という「千と千尋の神隠し」の坊ちゃんの逆バージョンのようなお願いの仕方が常套手段です。
友達に借金のお願いをした手紙でも、当時男性が使わなかった女性言葉を多用して相手にすり寄るようにお願いをしています。
もう少しすれば、実家のお兄ちゃんからお金が送られてくるから!そしたらすぐに返せるから☆何なら友達全員に「太宰に何日までの期限でお金を貸したんだ」ってことを言いふらしてもらって構わないよっ
要約するとこれだけの内容なのですが、同情を誘うような文章で書き連ねています。
実家が青森県の大地主であったことで、太宰は幼いときから何不自由なく生活をしてきました。
周りの人間が自分のために動いてくれることは、当然のことのように思っていたのかも知れません。
生涯無責任な行動が多いわけですが、師匠の井伏鱒二に弟子入りをしたときも、とんでもないお願いの仕方でした。
(手紙にて)会ってくれない42ますー☆
すぐにおいでっ!
どう考えてもドン引きな第一印象です。
なにはともあれ、メンヘラ女のような泣き落としで20年に近い太宰と井伏の腐れ縁がはじまります。
芥川賞が欲しい
芥川龍之介に憧れていた太宰にとって、芥川賞は喉から手が出るほど欲しいものでした。
実際に第一回の芥川賞候補に自身の作品が選ばれると、喜びのあまり友人たちに手紙を出しています。
しかし、受賞を逃したと知ると非常に落胆をしました。
講評に太宰の自堕落な生活態度を指摘した川端康成に対しては、「大悪党だと思う」と痛烈に批判しています。
藁にも縋る思いで第二回の芥川賞に応募したときには、審査員の佐藤春夫に4メートルを越える長さの手紙を送っています。
第二回は僕にくださいっ☆
僕を助けると思って…( ノД`)見56しにしないでー
要約するとこんな内容のものが延々と書かれている手紙を受け取った佐藤春夫は…
ながっ、すげー情緒不安定じゃんあいつ…もう、怖いわー
と完全に逆効果。
そして6日後にはさらにもう一通の手紙を出し…
正直に言って生活が苦しいんです…。最近は死ぬことばっかり考えています。佐藤さんだけが頼りなんです(´;ω;`)
ちょっとー!これ太宰君ヤバいんじゃないの!?絶対ヤバいよ…誰か彼を確保して病院入れたげてー!
ということで太宰の弟を仲介して、すぐに病院に入院させられています。
芥川賞のおねだりをして、入院させられるという最悪の結果となります。
結局第二回は二・二六事件のため審査自体行われず、中止となっています。
太宰は生涯を通して大きな文学賞に恵まれませんでした。
芥川賞を受賞していたら、太宰の人生は好転して、自殺することもなかったのかも知れないですね。
メロス?
走れメロスの原案になったんじゃないの?と言われているエピソードがあります。
熱海の宿で執筆活動をしていた太宰のお金が足りなくなり、太宰の奥さんに頼まれて壇一雄がお金を届けに行きます。
(壇一雄…「最後の無頼派」と呼ばれた作家。2度の直木賞を受賞しており、太宰治や坂口安吾との交流が深かった。男性がキッチンに立つことが珍しかった時代に、料理家としての顔も持つ“元祖クッキングパパ”。)
壇がお金を届けにいくと…
やあー、よく来たね。とりあえず飲もうじゃないか
金が足りないっていうから持ってきたんだぜ。良いの?
良いよー☆
イエーーイ
太宰と壇はどんちゃん騒ぎをして、持ってきた金をすぐに使い果たしてしまいます。
仕方がないので、太宰が菊池寛のところに行ってお金を借りてくることになりました。
壇は未払いの金があるため、宿で人質となります。
なんだかメロスっぽい展開なってきましたね。
しかしすべての道を走破したメロスと違って、列車に乗って東京に向かった太宰が2日経っても、3日経っても戻ってきません。
さすがにしびれを切らした壇が、太宰を探しに東京に戻ると、井伏となに食わぬ顔で将棋を指していました。
ウオォォォイ!お前なにやっとんねん!?
なにって、将棋…
分かってるよ!お前っ…俺はな、お前信じて待ってたんやぞっ!
ふう…待つ身がつらいかね、待たせる身がつらいかね。(キリッ)
壇一雄
あ💢
奥さんが持たせてくれたお金をすぐに散財するシーンをふくめて、サイコパスなのかっというエピソードです。
なにかと太宰の世話を焼いた壇ですが、このときばかりは怒ったのではないでしょうか。
(壇は山梨県出身であり、急に関西弁でツッコミはじめたのは筆者の脚色です。)
ちなみに後年太宰が書き上げた走れメロスを見て…
壇一雄
ウオォォォイ!なんじゃこりゃー!ワイの時と逆やないかいっ
と壇は思ったんじゃないのかなー、と考えるのは僕だけでしょうか?
三島由紀夫との関係
昭和を代表する作家三島由紀夫とも面白いエピソードがあります。
三島が東大に在学中に太宰のもとに訪れこう言い放ちます。
三島由紀夫
僕はね、あなたの作品は女々しくて大嫌いなんです。あなたのことは嫌いなんですよ!
当時の三島はただの学生。
学生にいきなり悪口を言われて、喧嘩を吹っかけられた太宰は意外にも冷静に切り返します。
太宰治
いやいや、好きじゃんww。わざわざ調べてここまで会いにきたんだよね!?ファンじゃんww
子供の喧嘩のように思いますが、三島由紀夫と太宰治が直接が会ったのはこの1度だけだそうです…。
天敵
太宰治の天敵といえる存在として、詩人の中原中也が挙げられます。
中原中也は酒乱で、酔うと誰彼構わず喧嘩を売っていたそうです。
太宰は中原と初めて会ったとき、意味の分からない言葉を中原から投げつけられています。
こんな悪口?を言われたら初対面から印象最悪でしょう。
こんな調子ですから、太宰の方はだんだんと中原と距離を置くようになっていくのですが、そんなことお構いなしの中原は、深夜に酔っ払うと太宰の家に押しかけることがあったようです。
太宰は奥さんに対応してもらって、どうにか会わずに帰ってもらおうとするのですが…。
居留守を使われた中原は家の前で暴言を叫んでいたようです。
ここまで迷惑を掛けられている太宰はどうしているかというと…。
太宰は布団を頭からかぶって、中原が帰るまで耐えていたようです。
太宰からすると、こんなイカれたやつと喧嘩できないという自己防衛だったのかもしれませんね。
まとめ
太宰治のとんでもな面白いエピソードについて5つご紹介しました。
太宰は色んな人を振り回し、時には振り回されていたことがわかりますね。
中原中也と太宰とのエピソードについては、下記の記事にもっと詳しくまとめているので、ご興味があったら覗いてみて下さい。
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